人間の思い込みの力ってすごいなと感じます。
先日、夕方ごろに帰宅して夕食の準備をしようとしたところ、その日は日中の気温そのままに夕暮れ時も蒸し暑かったためエアコンのスイッチを押しました。
料理中は火も使うためさらに暑くなると予測し、設定温度は23度にして空気も循環するようにサーキュレーターをオン。15分後には快適な温度で料理をしていました。自分が冷房ではなく、暖房を使用しているのには全く気付かずに、、、、
ご飯も食べ終わりリモコンを見て驚きました。
25度の暖房をつけていたのです。それに気づいた途端に汗が噴き出してきました。先ほどまでは涼しいと感じていたのに急に「ぬるく」感じるようになりました。
こんな日常のことから思い込みの凄さを実感した私ですが、気持ちというのはサッカーでももちろん重要でやはりそこも選手・人間として魅力があるかどうかに関わってくると思います。
サッカーではミスが起こることは十分に考えられますから、仮にミスで失点をしたりしてもそれはは罪でも反則でもありません。ミスをしたら次に繋げてくれたら良い、そう思います。
けれど
ミスしても次があるからいいやというプレーと、成功させようと狙ってプレーしてその結果ミスがでたプレーでは全く意味が違う。気持ちの「ぬるさ」が違う。
プレーの結果(成功・失敗)は同じになるかもしれないけれど、それはサッカーの表面的なところであって内側の部分、心のところはその「ぬるさ」にだんだんと埋められていきます。そうして「ぬるさ」に埋もれた心は今度は身体中に広がっていき、やがてサッカーに現れてくる。そうしてサッカーで「ぬるさ」に慣らされた体と心は、人間としての生活にも現れてくるでしょう。
生活とサッカーは繋がっている。それは一方通行ではなく相互に作用する。どちらかが「ぬるい」とどちらも緩くなる。なぜなら人は低いレベルに合わせるのが得意だから。
けどそれではダメなんです。レベルが上がらないんです。 レベルが上がれば上がるほどラクできるんです。レベルが上がることでで手を抜いても同じことができるようになるから。そこで「ぬるい」気持ちでやるのか、貪欲に上を目指してやるのかが人間としての魅力かなと考えます。
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