例えばレアル・マドリードなら「高貴なクラブ」、アスレティック・ビルバオなら「バスク地方の情熱的なクラブ/育成の上手いクラブ」といった外側から見た時に感じるクラブのイメージのようなものってあります。
同様に指導者にもイメージってありませんか?例えばグアルディオラは「知的な名将」クロップなら「フレンドリーでエネルギッシュ」アンチェロッティは「物静かなチームのボス」といった具合に。
これらのイメージは決して私たちが外から見て勝手に決めつけているわけではないと思います。クラブ自体や指導者自身がどうありたいか・どうなっていきたいかという『ビジョン』を持っていて、それに近づくあるいはそのビジョンに沿った活動や行動で『ブランディング』を行なっているから私たちはそのように見えるのだと思います。
この『ビジョン』というのはかなり大事なんじゃないかなと思います。クラブであれば我々はどこに向かって進むのか、どういったことをしていく必要があるのかという方向性がわかり、クラブに属する人間は自分自身の行動がそれに見合っているかという判断材料になります。
それと同時に、何をやってはいけないかというのも明確化されるんじゃないかなと思っています。クラブや指導者の評価を落とす要素としてやってはいけないことをしている、つまり『ビジョン』にそぐわない行動や活動をしていることが挙げられます。そういったことを無くしていくためにも『ビジョン』は持っていた方が良い気がします。
『ビジョン』を持つことができれば今度はそのビジョンに近づくための行動や活動、すなわち『ブランディング』が必要になってきます。クラブや指導者はこの『ブランディング』が非常に重要で、選手の集客に関わってきます。このクラブはこういうことをしている、この指導者はこういう人だというのは『ブランディング』における行動・言動によって決められていきます。
『ビジョン』も『ブランディング』もクラブや指導者の色が存分に発揮されていていいと考えています。ただし、指導者としてクラブに属している場合はまずクラブの『ビジョン』を理解し受け入れる方がいいと思います。クラブと指導者に大きな乖離が生まれてしまうと両者とも信頼や評価を失いかねません。指導者は自分のビジョンとクラブのビジョンを照らし合わせ納得できないならそのクラブを選ぶべきではないし、クラブも雇うべきではないような気がします。あくまでも私の今の時点での考えなので今後変化するかもしれません。
まとめです。『ビジョン』を持ちそれを達成するための『ブランディング』の過程に『らしさ』が生まれてくるというのが現在僕が考えているところです。クラブと指導者はその過程が他者から評価されることで成り立っているのが現在のサッカー界であり、『らしさ』として付加価値になっていくものではないかなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。誰かの何かの役に立つと嬉しいです。
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