FCバルセロナはかなり面白い育成組織だと度々感じる。
育成年代から1-4-3-3を基本布陣としながらピッチをワイドに使ったポゼッション(ショートパス主体のボール保持を第一とするスタイルと定義)をベースとした戦い方を叩き込んで、トップチームへの一貫した選手供給を目指している。その中でウイングと呼ばれるポジションには常にワイドな位置を取り、ボールを受けてはドリブルを仕掛けるというある種の個人戦術を上回るチーム戦術が決まり事として存在する。(トップチームは少し違うが。)これはポゼッションを育成年代に植え付ける上で、絶対的に必要な存在であると見られる。なぜならウイングがワイドな位置をとることで相手ディフェンスラインを釘付けにし、ポゼッションにとって重要なミッドフィルダーたちに自由(時間と空間)を供給することができるからである。
そんなコンビネーションなどのポゼッションベースの育成の犠牲というか、副産物というべきか、コンビネーションを得意としない強力な単騎突破を武器とするウインガーがバルサの育成組織(ラ・マシア)からどんどん出てくるから面白い。このことについてはまた後日どこかで語りたいと思います。
そのラ・マシア産の代表的なウイングがデウロフェウだろう。バルサBでは68試合で27得点(アシスト数は不明)というウイングとしてはかなりの得点力で、当時はバルサ史上最高傑作だとか、メッシ2世だとか言われ、実際にドリブルは誰にも止められなかった。味方でさえも。
しかしトップチームでは、いやトップレベルでは大きな問題に直面した。人とサッカーができないのだ。ボールを持てばドリブル、ドリブル、ドリブル。パスはほぼなし。あるとすればただの横パス。味方のタイミングもなければオフザボールの動きもない。目の前の相手を抜くことに特化したただのサッカー小僧になってしまっていたのだ。これがデウロフェウを苦しめた。行く先々で最初のうちは得点やアシストの結果はいくつか残すものの気がつけばベンチかメンバー外。ミランで若干復調し、当時ウイングを求めていたバルサに買い戻されるもすぐに放出された。
もう日の目を浴びることはないかと思われていた。そんな彼が突如覚醒した。今シーズン、ウディネーゼで34試合13得点5アシストと大活躍したのだ。そこにはかつてのようなウイングとしてボールを待つだけの姿はなく、ピッチ中央から広く動き回り、味方との連携やスルーパス、そしてキレキレのドリブルでチームを引っ張るデウロフェウがいた。メッシ2世でもないまさしくデウロフェウという一人のプレーヤーが守備陣を切り裂く姿は光り輝いて見えた。
インタビューでは次のように話していた。
1番いい時期はこれからやってくると信じている。
なぜなら、今やっとサッカーとは何かがわかり始めたところだから。
ストライカーとしてピッチの中央でプレーして、そこで何が起こっているか、何をすべきかが理解できるんだ。
本人曰くやっとサッカーがわかってきたそう。そんなデウロフェウには同じセリエAのナポリが関心をしめし、すでに個人合意に達しているとも言われる。復活したデウロフェウのはこれからがサッカー人生の1番いい時期なのかもしれない。
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